お知らせ

五味洋治のページです。主に韓国での北朝鮮関連報道を訳していますが、日本語で紹介されない記事を私の目でセレクトしています。私の執筆活動、経歴についても掲載しています。最近のお勧めは、北朝鮮の軍事関連報道です。日本のメディアが伝えていない細かなものまで拾っています。私がかつてここに書いた金正恩の性格分析は今も十分通用します。筆者へのご連絡はこちらをクリックしてください

2011年1月31日月曜日

最近の食料事情 

韓国のNGO よい友達のニュースレターの翻訳。転電です。


    North Korea Today -食糧消息-  ◆第23号(2011年 1月15日)
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                  提供:在日コリアン青年連合(KEY)
■━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ http://www.key-j.org ━■

 韓国のGood FriendsとJoin Together Society(JTS)両団体が発行する
 ニュースレターから、朝鮮民主主義人民共和国の食糧事情に関連する
 情報を翻訳してお伝えします。

【今回の掲載号】
▼Good Friendsニュースレター379~383号(2010年12月分)
 http://www.goodfriends.or.kr/n_korea/n_korea11.html
 ※前号におきまして、別のページのリンクが掲載されておりましたことをお詫
  び申し上げます。


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◆大紅湍郡の住民たち、「小土地の農業を許可してくれ」
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 両江道の大紅湍郡では小土地農業が禁止されている。土地のほとんどが山地の
ため山火事の恐れがあり、個人利己主義を追究することで国家の仕事に従事しな
いという理由で党では小土地農業を禁じている。ところが、住民の考えはこれと
異なる。「国家から食べ物も与えられないのに小土地農業まで禁止されたら死ん
でもかまわないという意味ではないのか」というのである。茂山と恵山などをま
わりながら物売りをする人びとから小土地農業が許可された地域があるという話
を聞いた住民たちの不満の声は次第に高まっている。三峰労働者区に住むシン・
ヒョンドク(仮名)さんは親戚が穩城に住んでいるが、穩城郡は小土地農業が全国
的に禁止された昨年も、その地域では許可していたという話を聞いたと語った。
穩城地域でも最初は小土地を回収したり農業を禁止したりしていたが、住民の反
発が強く食糧問題も深刻であったために許可せざるを得なかったという。その結
果、昨年末の貨幣交換措置後、全国的に極度の食糧難にさらされていた時期でも
穩城郡だけは飢えることから逃れ餓死者が発生しなかったという。シンさんはそ
の話を同僚に伝えたが、あっという間に住民の間に広がった。穩城郡党も行えた
のになぜわれわれが住んでいる地域の党はそのような配慮をしてくれないのかと、
露骨に不満をいう住民まで現れた。最低限「長期治療をしていて国家の仕事に従
事できない患者や年寄りにだけでも小土地農業を許可してくれ」と請願したが、
許可できないという反応のみが返ってきている。
[Good Friends 379号(12/7配信)]


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◆白岩郡廣徳農場、今年の秋はまともに配給を受ける
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 両江道白岩郡、廣徳労働者区農場は秋の食糧配給を終えた。農民らの出勤日数
が異なり、食糧配給量に差があるが、大体8ヶ月分ずつ受け取ったことが確認され
た。ジャガイモ5ヶ月分に雑穀3ヶ月分である。10月初旬までをみても、住民らは
今年の軍糧米と軍隊支援の豚肉を捧げれば半分も受けとることができないだろう
と心配していた。その上昨年の霜の被害が続き、今年まで被害を受けたために、
個人の小土地農作業が台無しになってしまった家が多かった。それで農場園のほ
とんどで、どのくらいの配給を受けられるか神経をとがらせてきた。配給量によ
って、軍糧米を捧げた後に、どれ程持ちこたえられかを計算することができるか
らだ。
 道党幹部のハン・ジュヒョク(仮名)さんによれば、両江道と慈江道、咸北道の
場合は、本来全国穀類生産に占める比重が少なくて、軍糧米を多く納めなかった
地域だった。しかし軍糧米が不足すると軍隊が地方党に圧力を与える様になり、
地方党で軍糧米を徴収した。それが慣例になって食糧状況が悪化し、農場園の不
満が強まり中央党に強く提起することになった。そのような去る10月30日、中央
党から軍糧米徴収事業を中断するという発表が伝えられて、農場園は歓声を上げ
た。8ヶ月分から軍糧米と軍隊支援肉分の半分を除けば4ヶ月分で、それで1年を
持ちこたえなければならないのだが、8ヶ月分全てを受け取ることができるためだ。
[Good Friends 381号(12/15配信)]


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◆軍糧米さらに納める地域多く
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 去る10月30日、これ以上軍糧米の徴収をしないという中央党の発表があったに
も関わらず、地域によっては施行されていない所が多い事が明らかになった。そ
の上、最近食糧事情が悪化し、人民軍の食糧確保のために軍糧米を納める地域が
増える傾向にある。この間、上部の顔色を見ながら納めていなかった地域も本格
的に軍糧米を納め始めた。江原道と黄海南北道の地域部隊では1日に軍人1人あた
り、500gも支給できずにいる状況だ。トウモロコシにわずかな米を混ぜたご飯に
、塩で味付けた白菜スープが全てだ。他の副食がほとんどなく食事が不十分なた
め、栄養失調者が多い。準戦時体制を宣言した後にも食糧事情は改善されていな
い。
 軍糧米を取り立てないという便りにしばらく喜んだ農民の表情はまた暗くなっ
た。咸鏡南道道党のある幹部は「(中央党では)住民らから軍糧米を徴収する代わ
りに中国と貿易をしたり、党の資金を使って軍糧米を確保しようとした。農民の
負担を減らして民心を得ようとしたが、水の泡になったようだ。中央党では、海
外貿易代表部に食糧購入に大々的に踏み切ることを促しているが思い通りになら
ない。去る11月末までをみても、慈江道、煕川発電所建設資材購入資金をかけろ
といっていた指示も、いつのまにか食糧購入を優先して集中しろとの指示に変わ
った。しかし海外代表部らはもちろん、外貨を稼ぐ会社が貿易をしたくても国内
で輸出できるものが鉱山資源、農産物など数種類に限定されている上、朝鮮労働
党でどれだけ力がある機関でも、先払いができなければ海外の会社がなかなか取
引をしようとしない。北朝鮮の主要市場毎に穀物価格が1,100ウォン台から1,600
ウォン台まで上がったのも、食糧が多く輸入されていないためで国内穀物流通量
が減ったせいだ。このように12月も食糧問題は解決せず、各地方の党では軍
糧米を納められる所は納め、あきらめる所はあきらめろと指針を下したことが知
らされた。中央党でも、軍糧米を最優先し無条件保障しろとの指示文を各地方党
に命令した。
[Good Friends 383号(12/29配信)]

2011年1月27日木曜日

中国は北朝鮮を全面支援できない 連合

ダボス会議で韓国政府高官がこう発言した。根拠はなさそうだが、韓国内では中国に対する楽観的な見方が広がっている印象だ。

クァク・スンジュン"中,以前のように北支援できないこと"

(ダボス=聯合ニュース)孟チャンヒョン特派員=クァク・スンジュン大統領直属未来記画委員会委員長は26日"中国が過去友邦であったという理由で北朝鮮を支援してきたが,今のようにずっと支援することができないこと"と話した。

クァク委員長はこの日午後(現地時間)スイス,ダボスで開かれた第41次世界経済フォーラム(WEF)の東アジア政治.経済状況を主題にした討論で"3代世襲に対して中国人らも'リアリティーショー'と考えており,中国内若い世代は北朝鮮にそれほど関心がない"としながらこのように話した。

クァク委員長はまた中国やはり北朝鮮の核開発を負担になると思っていて,通信手段の発展などの色々な環境の変化によって北朝鮮住民たちも過去とは変ったという点も中国が北朝鮮を以前ぐらい支援できないという展望の根拠に上げた。

クァク委員長は特に中国‐北朝鮮を一つでして,韓国と米国,日本を他の一つでする対立構図を作るのは望ましくないとしながら"中国の成長は韓国をはじめとするアジアにとても多いに役に立つ"と強調した。

彼は"まず中国がそのような形の組み分けを願わない"として韓国と北朝鮮,中国,米国,日本など5ケ国の関係を楽観すると話した。

2011年1月9日日曜日

中央日報 金正男報道まとめ

記録のために転載しておきます。

中央日報さま、ご容赦を。

http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=129863

韓国メディア初、中央SUNDAYが金正日(キム・ジョンイル)北朝鮮国防委員長の長男金正男(キム・ジョンナム)氏に会った。マカオのアルティラホテルのレストラン「オーロラ」でのことだ。金正男氏は20代女性と食事中だった。取材チームに会った彼は驚く様子も、拒否する様子もなかった。写真も撮っていいと述べた。「フランス亡命説」に対しては、急に顔をこわばらせ「フランスは私が過去に旅行をしたところではないですか。フランスに行く理由はありません」と否認した。

インタビューは約10分間行われた。

次は中央サンデーのアン・ソンギュ外交安保エディタと金正男氏の一問一答だ。

Q:お会いできてうれしく思います。中央日報の記者です。

A:南側記者のですよね。南側記者は初めてお会いします。今まで日本の記者には会いましたが…

Q:どうお過ごしなのか知りたくてまいりました。いくつかお伺いします。

Q:弟のキム・ジョンウンさんが金玉(キム・オク)さんの息子さんとおっしゃったと聞きましたが…

A:何の話か全くわかりません。

Q:そんな話がありました。ヨーロッパの方へ行かれる話も耳にしましたが。

A:ヨーロッパの方へ行くというのはどういう意味ですか。私がどうしてヨーロッパの方へ行くんでしょう。

Q:理由はよく分かりませんが…。

A:やれやれ。全くヨーロッパの方へ行く計画はありません。

Q:それではそれが事実ではないと。

A:ヨーロッパの方へ行くという意味がどういう意味がわかりません。ヨーロッパの方へ私がどうして行くのです? 旅行に行くことはあるかもしれませんが。

Q:お住まいを移すということでは?

A:全くそんな計画はありません。ルーマーでしょう。

Q:1人で泊まっていらっしゃるんですか。韓国の方と一緒にご滞在されているのではありませんか。

A:え?

Q:ところでヨーロッパ、フランスに行くという話は全く事実ではないんでしょうか。

A:ご存じの通りフランスは私が過去に旅行をしたところではないですか。フランスに行く理由はないですね。

 

アン・ソンギュ記者

「天安艦?知りません、父は元気です」
  韓国メディア初、中央SUNDAYが金正日(キム・ジョンイル)北朝鮮国防委員長の長男の金正男(キム・ジョンナム)氏に会った。マカオのアルティラホテルのレストランだった。金氏は20代女性と食事中だった。取材チームに会った彼は驚いたり、拒否したりすることはなかった。写真も撮っていいと言った。「亡命説」に対して彼は 「全くない。ヨーロッパへ行く計画もないです。ヨーロッパへ私がどうして行きます?旅行には行くかもしれませんが…」と否認した。
  インタビューは約10分間続いた。
  4日午前10時30分(現地時間)、マカオの新都心コタイにある38階のアルティラホテル10階。洋食レストラン「オーロラ」の海が見える窓べで男女が食事をしていた。男性は入口を、おしゃれな20代女性は窓の方を向いていた。入口に入る記者の目が男性の目と合った。男と女は互いに何かを言うと女性が先に席を外した。椅子に座っているふっくらした男性の顔。数日間ひげをそっていないようだったが、確かに本人だとわかった。2カ月間追跡した金正日北朝鮮国防委員長の長男、金正男氏(39)だ。彼をそれほど追跡していた。
  金正男氏はレストランを出ようと勘定を急いでいた。その時どこかから電話があると韓国語で答える。「もしもし うん。わかった、わかった」勘定を終えた彼はレストランから出てエレベーターの方へ進んだ。そこでビデオカメラを持っている取材チームに会った。驚いたり拒否したりする様子はなさそうだった。金正男氏は「記者ですか」と先に聞いてきた。記者が「写真を数枚撮ってもいいか」と言うと撮っていいと言った。こうして対話が始まった。
  --いかがお過ごしですか。
  「元気です。もういいでしょ?」
  エレベーターに乗ろうとする彼を捕まえる。
  --お会いできてうれしいです。私はソウルから来た中央SUNDAYの記者です。中央日報の日曜新聞です。
  「南側記者ですよね」
  少し不思議なように記者を見る彼に名刺を渡した。名刺内容をちらっと見て、長袖シャツの前のポケットに入れた。
  「南側記者には初めて会います。今まで日本の記者には何人か会ったことがあるが」
  --どう過ごしているのか知りたくて来ました。いくつかお尋ねします。
  「…」
  --弟さん(金正日総書記の三男と同時に後継者であるジョンウン)が金玉(キム・オク、46)さんの息子だという話をマカオで聞きました。
  「(余裕だった顔が硬くなった)何のことか全くわかりません」
  --午前、息子さんにお会いしました。
  「家族のプライベートは守ってください」
  --お父さん(金正日総書記)の健康状態はいかがですか。
  「良いです」
  --天安艦事件に対してはどう思いますか。
  「天安艦?私は知りません。やめます」

世界が驚いた「金正男スクープ」、崔秉宇記念国際報道賞受賞
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関連キーワード :金正男インタビュー崔秉宇記念国際報道賞
 

 

  中央SUNDAYの安成奎(アン・ソンギュ)外交安保エディター(右)と申寅燮(シン・インソプ)写真チーム次長が第22回崔秉宇(チェ・ビョンウ)記者記念国際報道受賞者に選ばれた。寛勲クラブが7日に決めた。2人は2カ月におよぶ追跡の末にマカオで北朝鮮の金正日(キム・ジョンイル)国防委員長の長男の金正男(キム・ジョンナム)を単独インタビューした。記事は本紙6月6~7日付1面トップに掲載された。

  記事は▽金正男と金正恩(キム・ジョンウン)兄弟間の権力対立▽金正男のフランス亡命説▽一進一退する金正日委員長の健康など、北朝鮮の最新動向を独占的に掲載した。また、▽韓国メディア初の金正男インタビュー▽韓国メディア初の金正男スチール写真と動画撮影▽世界のメディア初めての10分間独占インタビュー▽世界のメディアで初めての2分の動画撮影という記録も作った。

  このインタビューはCNNインターナショナルが「提供:中央SUNDAY」と表示の上で「珍しい金正日の息子とのインタビュー」というタイトルで放映された。

  CNNインターナショナルは世界2億6000万世帯に38個の衛星を通じて放映されている。APやAFPなど主要通信社と米CBS、ABC、ボストングローブ、ラスベガスサン、英ガーディアン、中国チャイナポストなど各国のインターネットニュースサイトもこのニュースを転載した。日本の時事通信、日本経済新聞、産経新聞なども掲載した。

  この賞は1958年に台湾の金門島紛争を取材して殉職した崔秉宇記者を記念し、1990年に制定された。

http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=135701

 

この時「父は認知症と言った」とする記事があるが、見つからない。

http://www.news-postseven.com/archives/20101226_8524.html

 

強制退去時の国会のやりとり

http://www.shugiin.go.jp/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/a168243.htm

http://www.the-journal.jp/contents/pyon/2009/01/

誕生日に特別なことをするな

昨日は、金正恩氏の誕生日だったが、どうやら下の記事のように特別なことはなかったもようだ。

今年の北朝鮮のカレンダーは、日本国内でも入手できるが、休日にはなっていない。

北朝鮮情勢をウオッチしているラヂオプレスも、8日は通常の放送が行われたと伝えている。

もし特別な休日の場合、毎日のラジオやテレビの放送時間が変更される。

しかし、昨年の共同通信の配信によれば、昨年は1月8日はたしか休日扱いとなっていた。

 

「国内向けのカレンダーでは、既にジョンウン氏の誕生日とされる1月8日が祝日扱いになっているもようだ。ジョンウン氏の“足取り”が徐々に大きくなり姿を現すのか、北朝鮮国民も見守っているとみられる。2010年6月29日配信(北京共同=磐村和哉)」

いったいどうなっているのか。

「後継のスピードを遅らせている」(朝日新聞)との分析もあるが、そうだとすると延坪島への砲撃は「後継者の実績つくりへの成果作り」という、メディアの分析も怪しくなる。

一方、北朝鮮の事実上の憲法ともいえる党の規約の内容が漏れだしている。

正恩への軍の反発を防ぐ狙いとも言われており、三代世襲への反発を、金正日は気にしているのかもしれない。

http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=136443&servcode=500&sectcode=500

私の考えでは、金正日はまだ3代世襲に迷いがあるのではないか。正恩はテスト期間なのかもしれない。

 

なお管理人はしばらく海外に行きますので、ブログの更新は当面お休みいたします。

 

出典http://japanese.yonhapnews.co.kr/headline/2011/01/07/0200000000AJP20110107004200882.HTML

正恩氏誕生日は平日のように過ごせ、北当局が指示

 

2011/01/07 21:17

【ソウル7日聯合ニュース】北朝鮮・金正日(キム・ジョンイル)総書記の三男、正恩(ジョンウン)氏(朝鮮労働党中央軍事委員会副委員長)が8日に誕生日を迎えるが、北朝鮮当局が、この日を平日のように過ごすよう各地域に指示を出しているという。

 対北朝鮮人権団体「成功的な統一を作っていく人々」が、情報筋の言葉として伝えた。「1月8日は全国的に休まず通常出勤し、いかなる行事も行わないこと」と指示されているという。

 北朝鮮は月~土曜日勤務の週休1日制だが、土曜日は主に各企業所や職場、党組織などで公演会を開き、党組織責任者らが問うの政策や主要情勢について説明する。

 一方、北朝鮮専門インターネット媒体のデイリーNKは、「8日が青年大将(正恩氏)同志の誕生日だということは皆が知っているが、まだ特に指針はない」という咸鏡北道内部情報筋の言葉を伝えている。住民らへの特別配給や組織的な記念行事を開くこともなさそうだとしている。

 また、昨年は特別休暇もあったが、ことしは土曜日と重なるためか休暇の知らせもなく、幹部も住民も、新年共同社説の暗記や堆肥集めに動員されるなど例年と変わらない姿だという。

mazi38@yna.co.kr

2011年1月5日水曜日

北朝鮮言論の表と裏]嘘だけ繰り返す北新年共同社説 RFA

北朝鮮専門家なる人たちが、唯一頼れるのが北朝鮮の公式報道、中でも新年共同社説だ。私も一応は繰り返し読んで中身を吟味するが、ほとんと空虚な言葉の羅列ではないかと思わされる。

人民生活最優先といいながら、韓国への挑発を行って、国際的に孤立する。国としてとっくに崩壊しても不思議ではない。

このRFAの報道のように、メディアは新年社説についてもっと徹底批判すべきだろう。私も時間があれば、新年社説嘘の歴史をまとめてみたいものだ。

ワシントン-崔ミンソクxallsl@rfa.org
2011-01-04

北朝鮮が新年共同社説で強調した経済'自力更正'スローガンを産業現場にまき散らしながら,年初から大規模'労力動員'風を予告しているなかで北朝鮮最大鉄鋼生産基地の金策製鉄連合企業所で労働者決起集いが進行されたと朝鮮中央TVが2日報道した。

MC:北朝鮮言論の真実と虚構を暴いてみる‘北朝鮮言論の表と裏’進行を引き受けた崔ミンソクです。

今日時間には‘嘘をつく北朝鮮の新年共同社説’という主題で話してみます。
011年新年1月1日をむかえて,北朝鮮が新年共同社説を発表しました。

<録音:朝鮮中央TV>
“昨年主体99(2010)年は剛性繁栄の未来を見通すようにする驚異的な事変らがみな階段で起きた大層な変革の年であった。”
北朝鮮最高のアナウンサーリ・チュンヒ(67才)の声にのせられて,新年共同社説は40分間電波に乗って流れました。
北朝鮮は新年共同社説で“昨年強い大国建設のための闘争で大きな成果が成した”として“将軍様(金正日)が作戦、意図するまま立派な結実を持ってきた”と自慢しました。
引き続き今年課題で,“また一度軽工業に拍車を加えて,人民生活向上と強い大国建設で決定的転換を起こそう”と扇動しました。

一般的に国家指導者らは新年を迎えれば国民に丁重に挨拶して,新年にはどのようにするというなどの決心をします。
自分を選んだ国民の信頼に報いようとする指導者らの一つの慣行になりました。
韓国の李明博大統領は元旦の朝、韓国民族衣装を着飾って国民の前に丁重に,立って新年辞をしました。
“尊敬する国民皆さん,2011年辛卯年希望の新しい朝が明るかったです。
去る一年,耐えるのが難しいこともあったが,うれしくてやり甲斐のある仕事がさらに多かったです。

私たちはOECD国家中最高の経済成長を遂げました。
難しい中で輸出世界7位の貿易大国になりました。
ソウルG20首脳会議を成功的に開催して,世界中心の国家の一つにそびえ立ちました。”

李明博大統領は“国運隆盛の機会をのがさずに,先進国門の敷居を一気に通り過ぎなければならない”と国民に訴えました。
昨年韓国は1兆ドル規模の貿易時代をむかえて,世界的に輸出7位の経済富国に入りました。

胡錦涛中国国家主席も2011年新年を迎えて,全国民を相手に新年辞をしました。

“紳士淑女皆さん,同志皆さん,友人皆さん,新年の鐘の音を響かせながら,人類は2011年に入ろうとします”胡錦涛主席は昨年中国が上海エキスポと広州アジア競技大会を成功的に開催して,第11次5ケ年計画を成果的に遂行して,国民経済発展で大きい成果を成し遂げたと総括しました。


このように資本主義国家や社会主義国家でも関係なく指導者らが先を争って,新年挨拶をするのと別に北朝鮮では指導者の新年演説を聞けません。

それでは北朝鮮になぜ新年辞がないだろうか,

金日成主席が生きている時,北朝鮮にも新年辞がありました。
1月1日朝9時になれば金日成は間違いなくテレビに出てきて30分の間新年辞を読みました。
天の神のように絶対的権威を自慢した70~80年代.

金日成の新年辞はそれ自体が空の命令でした。

それで人民らはテレビの前で襟を直ちにして新年辞が終る時まで待たなければなりませんでした。

だが金日成が死亡した後北朝鮮の新年辞は‘新年共同社説’で代替されました。

もしかして出てくることができた金正日の声は登場しなかったです。

金正日の声が初めて公開されたことは1992年4月25日北朝鮮軍創建60周年行事場所でした。

“英雄的朝鮮人民軍将兵らに光栄があれ!

この声は彼が人民らに初めてで最後にある演説でした。
それでは,このように声を出したくない金正日の内心は何だろうか,
その理由に対して外部世界では“金正日は離して離して,言葉をひどくどもる”というデマが広がりました。
平壌住民たちの間では“金正日が馬に乗って落ちて,言語障害が起きた”といううわさが立ったりもしました。
13年の間金正日の個人料理人で仕事をした日本人藤本健二氏は自身の回顧録で“金正日が1992年に馬から落ちて,鎖骨が折れたし,その日夜まで意識が戻らなかった”と証言したりもしました。

だから金正日が落馬後遺症のために言語障害がきて,演説できないという言葉も全く根拠ない話ではなくします。
彼に会ってみた多くの南側の人々は“金正日が全く言葉をどもらないで対話を上手に解いていく達弁家’という評価を下したりもしました。

理由はどうであれ,新年辞に対する指導者の態度は国民に対する態度と見られます。
新年辞は指導者が人民らとする約束です。

人民らにこれからどんなことを計画していてどのように広げていくから付いてこいと呼び掛けをする席です。
それでは北朝鮮で新年共同社説はどのように守られるか,

今まで北朝鮮政権は人民らと新年にある約束を守ったことがありません。
金日成は人民らに“ご飯に肉のスープを食べさせる”と約束して守れなかったし,彼の息子金正日はご飯はさておきトウモロコシご飯も食べさせることができなくて数百万人を飢えさせて殺しました。
昨年に“主体鉄を,主体繊維,主体肥料を大量的に生産できるきらびやかな展望が開かれた”と自慢したが,経済はさらに難しくなったし国家はこれ以上住民たちを食べさせて生かす能力を喪失しました。
昨年貨幣改革が失敗に終わりながら,物価は100倍以上沸き上がったし,北朝鮮住民たちは“新貨幣と旧貨幣が3ヶ月ぶりに握手した”として経済門外漢の北朝鮮政権をやじりました。

昨年10月北朝鮮の食糧難を暴露した動画が韓国のKBS放送に放映されたことがあるのに,動画に出てくる24才になった孤児の女の子がうまごやしで延命してこの前飢えて死んだという悲しい便りが伝えられて,世の中の人々を悲しみに浸るようにしました。

対北朝鮮消息筋によれば現在北朝鮮にはうまごやしもなくて食べることができない孤児らがおびただしいといいます。
こういうことでは90年代中盤大飢饉の悪夢がまた訪ねてくるという悲鳴も聞こえます。

このように住民たちの人生を100倍も後退させても北朝鮮は“人民生活で画期的な成果を成し遂げた”と嘘をついています。
今年新年共同社説でも北朝鮮は守ることのできない約束をまたしています。

2010年にも“軽工業と農業を発展させて,人民生活で決定的転換を起こす”とすると今年も“軽工業に拍車を加えて,人民生活向上と強い大国建設の決定的転換を起こす”と翻意しています。

問題はこのように守られない新年共同社説を新年早々から丹念に覚えなければならない住民たちの苦労です。
新年共同社説が今は半世紀以上繰返しなっています。


守られない北朝鮮の新年共同社説.
人民に嘘をついてもかまわないと考える指導者の傲慢さ,人民を何に対してもかまわないと考える金正日の傍若無人が産んだ結果です。

2011年1月3日月曜日

"休戦以後北挑発総221件..武力挑発26件" 聯合

この記事を見ると、やはり北朝鮮の挑発は日常茶飯事になっているのだなと分かる。

"57年間北挑発なかった年は5年だけ"だそうだ。

ただし、来年は挑発をやめ、核実験やミサイル発射に方向転換するようだ。

http://www.csmonitor.com/World/Asia-Pacific/2010/1224/What-s-North-Korea-s-next-move-Perhaps-a-nuclear-weapons-test

クリスチャンサイエンスモニターのホームページには英文で、過去の主な挑発が掲載されていた。

訳すのは面倒なので、原文をコピペしておき、少しずつ訳してみます。

2009N_forme000
(ソウル=聯合ニュース)金ホジュン記者= 1953年7月27日休戦協定締結以後昨年まで57年間北朝鮮の主要挑発事例が200余件に達すると調査結果が出た。


3日国防部が国会国防委員会所属宋ヨンソン(未来希望連帯)議員に提出した資料によれば休戦以後北朝鮮の主要挑発事例(停戦協定主要違反)は総221件であり,この中で実際武力挑発は26件だった。
これは国連軍司令部軍事停戦委員会連絡団が作成した資料を根拠とした。

挑発類型を▲武装人員.艦艇.航空機が相手方領土.領海.領空を侵した行為▲相手方人員.艦艇.航空機に対する射撃など敵対行為▲重火器の非武装地帯搬入行為▲共同警備区域私の武器発射や拳銃威嚇などで区分した。
休戦以後北朝鮮の主要挑発がなかった年は54,56,72,88,89年でただ5年に過ぎなかった。
年度別挑発件数を見れば50年代10件,60年代78件,70年代35件,80年代18件,90年代45件,2000年代35件で現れた。

この中で実際武力挑発は50年代1件,60年代6件,70年代2件,80年代3件,90年代9件,2000年代5件だった。

(ソウル=聯合ニュース)バン・ジョンビン記者= 3日国防部が国会国防委員会所属宋ヨンソン(未来希望連帯)議員に提出した年度別北朝鮮挑発件数現況.

武力挑発事例を見れば5,60年代には58年大韓航空機拉致事件,67年海軍警備艦の撞砲艦(PCE-56.650t級)襲撃事件,68年大統領府奇襲事件,68年プエブロ号拉致事件,68年蔚珍(ウルチン).三陟(サムチョク)武装共産軍侵入事件と大韓航空YS-11期拉致事件,69年米EC-121偵察機襲撃事件などがある。

7,80年代には70年国立墓地爆破事件,76年板門店(パンムンジョム)斧蛮行事件,83年ミャンマーヤンゴン爆弾テロ,87年大韓航空機爆破事件などが代表的な事例に選ばれる。
90年代と2000年代には91年武装警備艇ペクリョン島近海侵入,96年東海(日本海)武装共産軍侵入,97年テソン洞住民強制拉致,99年第1ヨンピョン海戦,2002年第2ヨンピョン海戦,2009年大庁海戦,2010年哨戒艦天安号襲撃事件と延坪島砲撃挑発などがある。

宋ヨンソン議員は"90年代から北朝鮮の挑発が増加したことは94年金日成死亡以後金正日の後継ぎ構図定着と関連がある"として"金正恩3台世襲構築のために昨年3月26日哨戒艦天安号爆沈と11月23日延坪島砲撃攻撃を敢行したことは独裁権力の金持ち世襲過程に現れる典型的な形態"と診断した。

ソン議員は"これから北朝鮮は韓国内に各種テロ強行と同.西部戦線そして西北図書と東海(日本海)などで多様な形態の挑発と攻撃を敢行する可能性があって,軍当局はこれに対して徹底的に備えなければならない"と強調した。

hojun@yna.co.kr

 

North Korea shelled South Korea's Yeonpyeong island Tuesday, killing two South Korean marines and injuring more than a dozen people. South Korea returned fire. Both sides claimed that the other fired first.

While the South has engaged in past attacks – notably in November 2009, when it fired on a North Korean patrol boat, and in June 1999, when it sunk a North Korean vessel – history shows that Pyongyang is often the instigator. A 2007 report from the US Congressional Research Service documents dozens of provocations, ranging from low-level naval warfare to assassinations of South Korean cabinet officers.

Here are seven examples of the North's military provocations over the past decade.

North Korean attack on South

 

November 2001

On Nov. 27, 2001, North Korean soldiers opened fire across the demilitarized border zone at a South Korean guardpost. South Korean soldiers responded with fire, though none were killed from either side. Another exchange of fire would not be recorded until July 23, 2003.

Despite the Nov. 27 incident, two days later the United States reaffirmed it would provide humanitarian assistance to North Korea and desired to resume talks.

And even after President George W. Bush in January 2002 characterized North Korea, along with Iraq and Iran, as part of the so-called “axis of evil,” Secretary of State Colin Powell reiterated that Washington was willing to resume dialogue with the North at "any time, any place, or anywhere without any preconditions."

 

June 2002

On June 29, 2002, two North Korean patrol ships crossed into the South Korean-controlled area of the Yellow Sea and opened fire on a South Korean patrol ship, sinking it and killing four civilians. Happening during the final matches of the 2002 World Cup, which was jointly hosted by Seoul and Tokyo, the incident dashed hopes that the soccer tournament might warm relations between neighbors.

The skirmish occurred just after Washington had signaled it was ready to visit Pyongyang and resume peace talks, leading some analysts to speculate the incident was a North Korean delay tactic, the Monitor then reported.

As with the most recent exchange of fire, both the North and South blamed the other for initiating the attack. The South demanded an apology, which a North Korean Navy spokesman called "the height of impudence.'' CNN estimated then that some 30 North Korean sailors were killed or injured in retaliatory fire.

"The military provocation of preemptive firing by a North Korean Navy patrol ship is a clear violation of the armistice and an act that raises tension on the Korean peninsula. We cannot keep silent," said South Korean President Kim Dae-jun, echoing remarks that would be repeated by other leaders after skirmishes with the reclusive North.

 

February 2003

A series of North Korean moves in late February and early March of 2003 appeared to send a signal to the incoming South Korean president and test US resolve in the region.

On Feb. 24, 2003, North Korea fired a single missile into the sea between South Korea and Japan, a day before South Korea swore in President Roh Moo-hyun. "The move seemed carefully calibrated to draw attention without being highly provocative ? a flashing signal rather than a red light," The New York Times then reported. "In its last missile test, in 1998, North Korea launched a missile that flew over Japanese territory, setting off a crisis between the countries."

A week later, on March 2, four North Korean jets intercepted an unarmed US reconnaissance plane in international airspace over the Sea of Japan. The jets shadowed the plane for 22 minutes. On March 10, North Korea fired a second missile into the sea between South Korea and Japan in as many weeks.

 

July 2006

On July 4, 2006, Kim Jong-il test launched seven missiles, including the 118-ft.-long Taepodong-2 missile potentially capable of carrying a nuclear warhead. North Korean officials called it part of "regular military drills to strengthen self-defense."

The missiles mostly landed in Russian waters. Japan suspended contacts with the North and called for an emergency UN Security Council meeting, although Russia and China resisted calls for sanctions on North Korea.

The missile test ? as with the Nov. 23, 2010, incident ? was thought to be an attempt by Kim Jong-il to increase his bargaining power at approaching six-party talks on North Korea's nuclear program. "Kim wants more cards to play in the six-party talks. But I think he has now miscalculated," Jia Qingguo, associate dean of the international studies department at Beijing University, told the Monitor then. "Kim may think he is getting more cards. But I think this will only make the voice of the hard-liners in the US and Japan stronger."

As then-Beijing bureau chief Robert Marquand wrote: "Kim, like his father, runs his poor and isolated country on a complex principle of "self-reliance" called Juche, which has turned North Korea into something of a cult of personality. Kim can't afford to open his society as that could force changes that could undermine Juche. Yet North Korea is in a part of Asia that is modernizing rapidly ? causing unknown strains on the North's system."

The same is being speculated of the most recent provocation, with Kim's son ? and heir apparent ? now seeking to project his own image.

 

March 2008

On March 23, 2008, North Korea test-launched a barrage of short-range missiles. "That move was prompted by the North's anger over South Korean statements that any expansion of the [joint industrial zone] project in the border city of Kaesong would only happen if the North resolved the international standoff over its nuclear weapons," the Associated Press reported.

The test fire was also seen as a response to the South Korean government's firm stance on relations with Pyongyang, with the South's newly instated conservative president, Lee Myung-bak, ending a decade of "Sunshine policy" engagement with the North.

 

March 2010

On March 26, 2010, a North Korean submarine in the Yellow Sea fired a torpedo at the South Korean naval corvette Cheonan, according to the subsequent findings of an international investigation. The ship sank and 46 sailors died.

"The evidence points overwhelmingly to the conclusion that the torpedo was fired by a North Korean submarine,” a report concluded. “There is no other plausible explanation.”

South Korean President Lee Myung-bak initially promised “resolute countermeasures” to make North Korea “admit its wrongdoings,” but the North has continued to deny responsibility, even offering to send its own investigators to South Korea to examine the evidence.

The United States subsequently held a series of naval exercises with South Korea, despite protests from China, which did not acknowledge the North’s responsibility in the attack on the Cheonan. The exercise was aimed at showing muscle to North Korea, the Monitor reported.

 

October 2010

On Oct. 29, 2010, North Korean troops fired precisely two shots near a South Korean guard post along the border, prompting the South to fire three shots in return. It was believed to be the first exchange of fire on land since 2006, the Guardian reported.

The skirmish came six months after the sinking of the South Korean naval corvette Cheonan, for which the South said it was cutting off diplomatic ties with the North until Pyongyang issued an apology. But instead of offering any such reconciliation, the North warned on Oct. 29 ? coinciding with the exchange of military fire ? that bilateral relations would face a "catastrophic impact" if the South continued to reject talks, reported Agence France-Presse.

2011年1月2日日曜日

金正男のマカオ生活を初めて伝えた記事

金正男の行動を少しずつまとめている。

2007.01.31 読売新聞

 

金正男がマカオにいることを最初に報じたのは、私の記憶では読売新聞の記事だった。

茶色のセーターを着たおしゃれな出で立ちだった。

読売の記事によれば、金正男のマカオ入りは在香港の複数の外交筋が明らかにした。

 米国の金融制裁により、マカオの金融機関「バンコ・デルタ・アジア(BDA)」にあった約2400万ドルに上る北朝鮮関連口座が凍結されており、中朝関係筋は、北京で同日始まった金融制裁問題に関する米朝専門家会合に関連して、正男がマカオ入りした可能性を指摘している。

 中朝関係筋によると、正男は2005年に香港の大手銀行にパスポートと同じ「キム・チョル」名義で口座を開設。同筋は「銀行側から何らかの理由でこの口座について説明を求められ、香港に来ることになったようだ」と述べ、正男が今後、香港を訪問する可能性を示唆した。

 この口座は米国の金融制裁の対象にはなっていないが、金総書記の秘密資金の管理などにかかわっている可能性も指摘されている。

しかし、正男はこの時点で香港に住んでいたようだ。それはテレビなどの追跡報道で徐々に明らかになっていく。

 

読売新聞に対して、正男は

 

 「28日からマカオに滞在している」と語った。今回は「1人で来た」という。ただ、マカオ入りの目的については、「休暇で来た」と繰り返したという。

 

銀行の話は、写真を新聞に載せるために無理に作った感じもいなめない。写真を撮った人の名前がなく、香港支局撮影となっていた。これは支局のスタッフがたまたま見つけて写真をとったような印象である。

2011年1月1日土曜日

政治問題に関わっていない。金正男 2009年6月 日本テレビに

 

北朝鮮・金正日総書記の長男・正男氏は2009年6月6日、マカオで日本テレビのインタビューに応じている。

全部英語で答えている。さらに物陰のような場所で撮影されており、事前に約束して会ったような印象も受ける・


正男氏は後継者に三男・正恩が内定したとの情報についてはっきり答えなかった。

しかし
金総書記は正恩を「とても気に入っている」と話した。

さらに後継になるかとの質問には「そう思います。私は報道で知りました」と回答。


正恩が後継者との報道について「父親が決めることだ。私は確認できない。しかし、『ノー』とも言えない」


「(正恩氏は父親に似ている?)そう思います。私の父が弟を後継者に指名する理由の一つはそれです。
父は弟をとても気に入っているんです」


また、正男氏自身は後継者問題について「過去も将来にもかかわらない」と述べた。


核実験については「私は答えられない。北朝鮮のいかなる政治的な問題にも私はかかわっていない」と言及を避けた。

正男氏の周辺で関係者の粛清が始まったと伝えられていることについては

「そのような報道は全くの偽物だ。真実ではない。

私は北朝鮮の市民権を持って中国やマカオに滞在している。今はマカオを旅行中だ。

北朝鮮から亡命することは決してない。あなたは何を言っているのだ?」と述べ、全面的に否定した。

北朝鮮が核実験を実施して以降、正男氏がメディアのインタビューに応じるのは初めてだった。

 

2009年の時点で正恩と父親の関係を知っていたと思われる内容だった。
http://www.youtube.com/watch?v=Lv_HPNgWz2k

http://indora.iza.ne.jp/blog/entry/118186/

●【北朝鮮】クーデター恐れ、金正日別荘に戦車配置

 
最近自由アジア放送の北朝鮮報道が活発だ。彼らは記者経験があり、語学ができる人たちだが、なぜこんなインサイド情報をワシントンから入手できるのか、その背景が気になる。
以下は、聯合ニュースの報道の訳。戦車部隊を配置すれば治安が守れるのかはよく分からない。
 
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 最近、北朝鮮両江道の金正日(キム・ジョンイル)国防委員長別荘に、地域軍部隊反乱を未然に防止する目的で、戦車部隊が配置されたと米国自由アジア放送(RFA)が31日伝えた。

 同放送は「両江道消息筋」を引用して、「8月末に戦車10台が列車で、恵山市に運ばれ、その後(東北方40kmの)三池淵郡の金正日委員長特閣(別荘)周辺に配置
された」とし、「これらの戦車は金委員長警護を専門に担当する護衛司令部所属だが、両江道を担当地域とする人民軍第10軍団を牽制するのが主任務」と話した。

 同消息筋はまた、「今年、既存の民間武力を再編して創設した10軍団には、軽装甲車が何台かあるが、戦車は小型1台しかなく、ひょっとして反乱が起きても、
戦車10台ならば十分に鎮圧することができると見ているようだ」とし、「10軍団創設前は三池淵特閣に機関銃で武装した装甲車約20台だけが配置されていた」と
話した。

 一方、対北朝鮮短波ラジオ自由北朝鮮放送は27日、「両江道恵山市と近隣の普天郡に、8月から戦車部隊が入ってき始めた」とし、「住民たちが暴動を起こせ
ば、人民保安で(警察)打撃隊と一緒に鎮圧作戦を繰り広げるために、戦車部隊を配置したようだ」と伝えた。

 また対北朝鮮インターネット媒体「デイリーNK」は15日、「北朝鮮の各道の中で、唯一正規軍がなかった両江道に人民軍第10軍団が創設され、その司令部が恵
山市に入った」と明らかにした。<連合>